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漢字臨書条幅
王羲之(おう ぎし)
中国東晋の政治家・書家。字は逸少。
右軍将軍となったことから世に王右軍とも呼ばれている。
本貫は琅邪郡臨沂県(現在の山東省臨沂市蘭山区)。
魏晋南北朝時代を代表する門閥貴族の琅邪王氏の出身である。
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智 永(ちえい)
中国の南朝陳から隋にかけて活躍した僧・書家。
会稽郡山陰県(現在の浙江省紹興市柯橋区平水鎮)の出身。
本貫は琅邪郡臨沂県。俗姓は王氏で、名は法極、永禅師と号した。
書聖王羲之の五男の王徽之の六世の孫にあたる。
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虞世南(ぐ せいなん)
中国の唐の書家・政治家。
字は伯施。越州余姚県(現在の浙江省寧波市余姚市)の人。
初唐の三大家の一人。秦王府十八学士のひとりに挙げられた。
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褚遂良(ちょ すいりょう)
唐代の政治家・書家。初唐の三大家の一人。字は登善。
河南県公から河南郡公に封ぜられたため褚河南と呼ばれることも
ある。太宗に仕えて諫言をよくし、後の高宗の教育にもあたった。
しかし武則天を皇后に立てることに反対したために左遷された。
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欧陽通(おうよう とう)
唐の書家。字は通師。本貫は長沙郡臨湘県。父は欧陽詢。
子は欧陽幼明・欧陽幼譲・欧陽幼緘。
高宗の儀鳳年間(676年〜679年)、官は中書舎人になった。
その後、累進して、武周の天授2年(691年)には司礼卿・判納言事となり、宰相の列に加わったが、間もなく張嘉福らが武承嗣を立てて皇太子にしたことに反対したため、
武則天の怒りに触れて誅殺された。官爵(官職と爵位)は、神龍2年(706年)に追復されている。
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蘇 軾(そ しょく)
中国北宋の政治家、文豪、書家、画家。政治家としての活躍の他、
宋代随一の文豪として多分野で業績を残した。
文学以外では、書家、画家として優れ、音楽にも通じた。
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黄庭堅(こう ていけん)
中国北宋の書家・詩人・文学者である。
洪州分寧県(現在の江西省九江市修水県)の人。
宋代の詩人においては蘇軾・陸游と並び称され、書家としては蘇軾・米芾・蔡襄とともに宋の四大家に数えられる。
「詩書画三絶」と讃えられ、師の蘇軾と名声を等しくして蘇黄とする。
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篆 書(てんしょ)
篆書体。漢字やモンゴル文字、満州文字の書体の一種。
「篆書」「篆文」ともいう。
広義には秦代より前に使用されていた書体全てを指すが、一般的には周末の金文を起源として、戦国時代に発達して整理され、公式書体とされた小篆とそれに関係する書体を指す。
公式書体としての歴史は極めて短かったが、現在でも印章などに用いられることが多く、「古代文字」に分類される書体の中では最も息が長い。
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“説明文は「ウィキペディア(Wikipedia):フリー百科事典」より引用”