歴史の授業でも習った! 王義之について
歴史上に偉大な書家は数あれど、「王義之(おうぎし)」ほど有名な人物はいません。
この「王義之」について解説していきます。
<王義之は東晋の時代の書家>
歴史の授業でも必ず習うことになる王義之は、東晋時代に生きた書家です。
中国の山東省で三百三年に生まれました。
彼は名門貴族に生まれ、十三歳で世に出ます。
幼いころから書の才があり、多くの人に見守られて育ちました。
宮中でも彼の書は愛され、唐の皇帝の副葬品として選ばれる作品を作ったともされています。
そのようにして、才に恵まれ、またその才を生かす場所も知っていた人物ですが、官僚として働くなかで、自分と仲の悪かった人物が上司になるという不幸に見舞われます。
そのため王義之は職を辞して、隠遁します。
ただ、隠遁した後の彼の生活は決してつらいものではありませんでした。
酒や音楽、芸術品に囲まれて、のどかな余生を送ることになったからです。
今の基準で考えれば若すぎるように思われる五十八歳で王義之はこの世を去ることになりますが、その人生の終盤は決して悪いものではなかったと考えられています。
<王義之の書風と、彼がもたらしたもの>
現在でも、世界でもっとも有名な書家のうちのひとりとされる王義之は、彼の後進にも多くの影響を与えました。
王義之の書は、威勢がよく、龍が跳ねるがごとき書風であると称えられています。
よくしたためたのは草書体であったとされていて、手紙などに代表されるプライベートな内容のものが多いのが特徴です。
王義之の書き上げる草書体は、やや右上がりで、点画が崩れていたり省略されたりしているのが特徴です。
それまでは「硬く、水平に書かれるべきもの」であった文字を、「より速く、気ままで、自然体であるもの」に変えたという点でも、王義之は非常に高く評価されています。
彼は数多くの作品を残していますが、「十七帖」と呼ばれるものは特に有名でしょう。
先にも述べた通り王義之はよく手紙を書きましたが、この十七帖には二十九通の手紙が納められています。
ちなみに名前の由来は、最初の文章に「十七日」とあることから」だとされています。
「書聖」と呼ばれていた王義之は、中国のみならず日本の書家にも多大な影響を与えました。
広く日本の書道においてもお手本とされ、時の皇后陛下なども王義之の書を学んでいます。
※こちらで王義之の書を見ることができます。
https://www.o-tehon.com/wp/rinsyo/